Vol.1 音楽とエンターテイメント 2012年11月
Q. 「音楽=エンターテイメント」という図式が成り立っているようで、そうではない音楽もあるのではないか、と感じているのですが。
A. たとえばお寺に行ったり、教会に行ったり、神様にお祈りしたり、その中にもエンターテイメントの部分もあるじゃん?たとえば、自分の魂とか、ね?
音楽にもいろいろな部分があって、それらを誰がどういう風にどうエンターテインしてるかって。
いろいろなミュージシャンがいるでしょ?
ちょっと情熱的な演奏する人、たとえばちょっとスピリチュアルな、とか、ちょっとロマンティック、とか…、ちょっと派手、とか。いろんな音楽がある。
で、お客さんも好みがあるじゃん。
いろいろなミュージシャンがいて、いろいろなお客さんがいて、そういうことかな、と思う。
ね?
全部エンターテイメントだよ。
だから、たとえば泣く時もどこかにエンターテイメントの気持ちがあると思う。
九つのラサがあるじゃん(ラサ=ラシャ、情感、心の状態)。
グルジー(故ニキル・ベナルジー氏)の音楽聴いて、その9つのラサの中で、シュリンガール(愛、美)、シャーント(平和、平安)、マンガル(幸福)・ラサとかすごく感じてた。アラウッディン・カーン、アリ・アクバル・カーンは、そういうパッションがすごく強かった。それが自分の音楽の原点。
小さい時から、他と「何か違うな」って聴いてた。
あと、すごいミュージシャン達、家に来るでしょ。
小さい時からその生音をずっと聴いてる。
たとえばライス・カーンみたいなパワフル、すっごいエロティック、すっごいファッショナブル。それも格好良いと思った。でも、なんて言うのかな、結果的に自分の体に、魂に、人生に合ってるのはこういう音楽かな、と思ってる。
Q. 最近、すごい技術のあるミュージシャンの演奏を聴いたのですが、凄いなっと思ったのですが感動しませんでした。
A. だからあなたがどういうエンターテイメントが欲しいか。ね?
たとえばロック好きな人がいて、ジャズが好きな人、全部エンターテイメント。そのなかでミュージシャン一人一人、たとえばロックでもすごいグッとくるし、その人の好みがある。
だからもの足りない。すごい演奏なのに何も感じない。
でも何も欲しくないって人もいっぱいいる。すごい迫力だったらそれだけで楽しめる、そういう人もいて、それでいいんじゃないかなって思う。
だからどんな部分でエンターテイメントしてるかって。心の、ね?
あの、んー、何て言うの。”Extrovert” 、“Introvert”って知ってる?
心の外向き、内向きの話。
アリ・アクバル・カーンでもニキル・ベナルジーでも、アンナプールナ・デヴィでも、みんなIntrovertだった。口では冗談だったりいろんなこと言うけど、自分の話、自分の音楽に対しての話、全然しない。多分、それは 神様にしてるからかな、と思う。みんな派手な人生、派手なことやったように思うかもしれないけど、音楽に対しては全然違う。
ラシッド・カーンの音楽聴いたらね、そういうIntrovertな部分がね、はっきり見える。
たとえば1時間の演奏があったら、その中のどこかにそういう部分が見える。
ラシッドも物凄い速いターンとか格好良いことやるけど、心の中に全部入ってる。だから変に見えない。
今、ラシッドの話したけど、そういうところがあるミュージシャン、みんな良いミュージシャンだと思う。
で、さっきの9つのラサの話の続きで、9つの中に2つ絶対使えないラサがあるの。音楽で。
一つは、コメディ(Hasya)。もう一つは、perversion (Vibhatsa)。
それも人間が持ってる情感だけど、自分たちがやっている音楽の中で絶対無い。使っちゃいけない。
と、そうしたら、それ以外に7つのラサがあるね?それがはっきり見えたら、「ああ、良いミュージシャンだな」って思う。
だから舞台の上で冗談やったりとか、オレ出来ない。そういうもの。
<続く>
レッスンの後にお話を聞く企画、『月刊ロイさん』。
初回はラサについて、音楽に向う姿勢についてのお話を聞くことが出来ました。今後も音楽家アミット・ロイの魅力を少しずつ紹介していくことができたら、と思います。
さて、次回はどんなお話が聞けるでしょうか。