アミット・ロイ & Students インタビュー

《97年11月に中島家で行った対談形式のインタビューを掲載しています。

 

 

インド古典音楽の世界は奥深い。その魅力に取りつかれた者にとってアミット・ロイという演奏者が日本に住んでいるということはどれほど幸運なことだろう。比類なき演奏者であるアミット・ロイは、同時に優れた思索者でもある。言葉は平易だが、その語るところはいつも、われわれにいくつもの発見をもたらしてくれる。アミット・ロイが若き演奏者たちに語った、音楽、生活、人生—。

 

 

97年11月某日、今回の「インド上昇気流」出演者たちのレッスンの合間をぬって、インタビュー・トークを敢行した。インタビュー会場となった中島家の居間には、キッチンからアミット・ロイ氏(通称バッチューさん)のつくるカレーのよい香りが漂ってくる—。 

 

バッチューさん:シタール奏者、アミット・ロイ氏の愛称。名古屋市在住。

カミニ:本名、中島加奈子。小学校5年生からシタールをはじめる。高校でインドに留学。帰国後、アミット・ロイ氏に師事。ご主人はタブラ奏者の中島知晶氏。

杉本伸夫:シタールをはじめて2年。今回最大の台風の目である。

寺原太郎:バーンスリ歴6年。一昨年より寺院やレストラン、お祭りの舞台などでの演奏活動を行う。

田中理子:タブラ歴6年。インド旅行中、楽器に出会う。シタール奏者の夫、田中峰彦氏と共に演奏活動を行う。

聞き手:林百合子

 

 

 

________________________________________

カミニはセクシーガール!?

________________________________________

 

Q バッチューさんがキッチンにいる間に、皆さんにおうかがいします。皆さんが、インド音楽を始められたのは、どういう理由からでしょうか。

 

たろう なんででしょうね。こんなになる予定じゃなかったんだけど。ちゃんと卒業して、ちゃんと就職して、趣味で笛を吹いて行こうと思ってたんだけど、最初は。

 

理子 それがどうしてたろう そこが底無し沼のおそろしさですわ……。

 

Q ……。理子さんはなんでインド音楽を始めたんですか?

 

理子 あ、最初は楽器にひかれたんです。面白い楽器だなって。最初インドへ行って音を聞いて、で持って帰ってきたんですけど、帰国してテープを聞いて見たら自分が思い描いていたイメージとちがったんですね。当時、私自身、絵とか写真とかいろいろ興味を引かれていたものがあって、ジャンルを問わずに、好きな感じっていうのがあったんですけど、その質感に通じるものがタブラの音色にあって。その官能の世界にずるずると引きずり込まれて(笑)、底無し沼ですね。

 

たろう 戻れない禁断の列車に乗って終着駅まで………。あるんやろうか、終着駅………。

 

Q ……。かなこさんは?

 

カミニ 私も楽器からなんです。ヨガをやっていた母がインドでシタールを買ってきて、適当に弾いていたら、じゃ、習いましょうかということになって、母といっしょに習いだしたんですよ。小学校5年生のときに。本当に、カルチャーセンターのノリっていうか、習いごとという感じで始めたんです。けっきょく中学を出て、向こう(インド)の高校に留学することになって。インドで学業のかたわら先生のところに住み込んではじめたんですね。最初はシタールにそんなに思い入れはなかったんですけれど、先生が転勤していなくなって……。

 

Q 先生が転勤?

 

カミニ 先生、サラリーマンだったんですよ(笑)!むこうって、掛け持ちしている人って多いですよね。で、先生がいなくなっちゃったから、誰に習おうかなと思って、ごたごたしているうちにギャップがすごい出来て、その間、バラタナティヤムやらヨガやらいろいろやったんですね。で、もうシタールはやめよう、と思って。そんなときに、シタールを聞いたんです。その時にすごい感動してしまって。

 

Q 誰のシタールだったんですか。

 

カミニ それがね、日本人だったんですよ!井上(憲司)さん。その頃井上さんは(カルカッタの)ショナルプールに住んでいて、私、中島(今の旦那さん)といっしょに、井上さんの家に遊びにいったんです。そこでシタールを聴いて、すごい気持ちよくて……。やっぱりやりたいと思ったんです。

(ご主人の中島さん登場)

 

中島 ガラムマサラあったやろ?

 

カミニ うん、ある。

(中島夫妻出ていく)

 

Q じゃ、次に。杉本君が始めたのはどうしてですか?

 

杉本 僕は、なんででしょうね。………。運命です。導かれました。

 

Q ……。杉本君が最初にインド音楽にであったのは?

 

杉本 僕はビートルズじゃないかな。

(加奈子さん戻ってくる)

 

たろう 加奈子さんが留学したのは、シタールを習うためだったの?

 

カミニ そうなんだけど、それ以前にもインドに何回か行っていたからあまり抵抗がなかったんですよ。小3、小6と行ってて。母親がヨガの教室をやっていたので。杉本 小3のときはじめてインドに行ったとき、ビビリませんでした?カミニ びびりましたよ、やっぱり。最初行ったのがボンベイで。あとは田舎のほうばっかりで、すごくよかった。日本では考えられないような時間があって。

 

Q ところで、カミニさんの名前の由来は?

 

カミニ 向こうで下宿していた家のおばあちゃんがつけてくれたんです。それからずっと演奏するときはその名前を使っています。ただ、おばあちゃんは白い花の名前だと言っていたんですが、バッチューさんはカーマ・スートラのなんとかって………。

 

杉本 セクシーガールですね。

カミニ なんかセクシーな名前だっていうんですが、それは知らなかったんです、私。(AMIT ROY氏入ってくる)

 

AMIT ROY 杉本!あと7分がまん!

 

杉本 はい!

 

AMIT ROY 今日、タマゴ、サカナ、チキン。

 

全員 わーすごい!(ひとしきり中断) 

 

AMIT ROY カミニ?カミニは、セクシーな女の子!シヴァとパールバティの神様いるでしょ、奥さんのパールバティが、セクシーなるでしょ、その時カミニっていう。

 

Q パールバティのセクシー状態がカミニな訳ですね。

 

AMIT ROY そうそう

 

カミニ 困ったなあ(笑)。

 

たろう プロフィールにそう書いとかないと。

 

AMIT ROY そういうこと書いたらだめ!お客さん2000人以上なっちゃうでしょ!(笑)

 

Q ところで、理子さんは最近の活動は?

 

理子 もう、いろいろと。夫がシタール奏者(田中峰彦さん)なんで、伴奏で出たり。

 

AMIT ROY おっとととととと。

 

Q ……。バッチューさん、こんな日本の生徒さん教えててどうですか。

 

AMIT ROY つかれてる。

 

理子 みなさん、あやまりましょう。(肩をもみ始めるたろう)

 

________________________________________

シタールはオレのココロの気持ちの天ぷら! 

________________________________________

 

たろう バッチューさんがシタールを始めたのはいつですか?

 

AMIT ROY はじめてシタール持ったのはちいちゃいとき。お母さんのシタール、お父さんのシタール持って、ヒンディーフィルムの歌、ハンムカレヘトギャロー♪ってシタールでひいてたの。(ひとしきり近くにあったシタールで弾いて見せてくれる)

 

AMIT ROY ミーンドとかない、ギターみたいにね。

 

杉本 先生の小さいときは、自分の家でシタール作っているじゃないですか、ミュージシャンもたくさんくるでしょ、音楽とはどういうふうに………。(AMITROY氏の実家はインドで最高のシタールメーカーとして有名)

 

AMIT ROY 小さいとき、おじさんたち、みんなうちに来るでしょ。ジュワリーとか直しに。先生(ニキル・ベナルジー)とか、ビライヤット・カンサーブとか来てるでしょ。もう変な人たちばっかりきてるって思ってた。みんな来ると、お父さんお母さんが忙しくなっちゃう。オレたちのこと誰もみてくれない。(笑)

 

杉本 そんな感じですか。

 

AMIT ROY そうそう、そんなにいい感じじゃない。

 

たろう 習いはじめたのはもっと大きくなってからですか。

 

AMIT ROY 高校生から。1976年からはじめた。

 

杉本 それまでは、お父さんの弾いているのを聴くだけ?

 

AMIT ROY お父さんとお母さんと。小さいとき、寝るとき、お父さん工房から帰ってくるの遅いでしょ。寝ていると、シタールの音きこえてくる、あ、お父さん帰ってきたなって分かる。お母さんと二人で、あの頃一番練習してた。私が、5歳くらいのときかな。お母さんが音楽すきだったから、店にコンサートのゲストカードくるでしょう。あのカードでいつもいっしょにコンサート行った。小さいころすっごい好きだったの、アリ・アクバル・カーンの演奏。

 

Q どういうところが?

 

AMIT ROY なんかすごく。あまいところあるでしょ。音楽の。それから子供のときすきだったのは、シシルコナ・チョウドリ。あと一番魅力的プレーヤーはライス・カーン。

 

カミニ んー、ライス・カーン、私も大好き!

 

AMIT ROY 彼、カルカッタくると、ウチに泊まるの。いつも。朝から夜まで泊まって、練習するの。みんな見るの。こうやって。近所の人も来る。ライス・カーンの時だけ集まるの。彼、すっごい大きい音で練習する。それから、アトラクションがあるの。それがかっこいいでしょ。ビヘイヴもすごい、いいビヘイヴ。

 

杉本 小さい頃からそれを聴いていたわけですね……。では、シタールという楽器については、どう思いますか。

 

AMIT ROY なんも。これが、好き、嫌いというのはなかった。好き、いいなあってこと、全然なかった。

 

カミニ ずっとそばにあったんですものね。考える余地もなかった?

 

AMIT ROY そうそうそうそう。毎日音聴いてるでしょ。

 

杉本 なるほど。では、楽器自体については?

 

AMIT ROY きれいでしょ!インドの楽器は神様のイメージついてるでしょ。バーンスリはクリシュナとか、シヴァは踊や太鼓、ヴィーナはサラスヴァティとか、こういうイメージあるでしょ。神様がいる楽器。だからぜったい、足しちゃダメなの。

 

Q 足を?

 

カミニ 足でさわったり、またいだりしちゃダメ。

 

AMIT ROY そう。すごい、リスペクト(尊敬)があるの。音楽と楽器と、今ちょっと分かってきてる。あのね、人間ずっと昔から、音楽つくったでしょ。生きているでしょ、まだ生きている。人間も生きているけど、楽器も生きてる。私たち、生まれてきて、死んじゃう。これだけだと意味がない。続いてるだけ。ここのところがすごい大切。私たち大切にしないと、次の人も大切にできない。あのね、ニキル・ベナルジー、生まれてきた、死んじゃった。私もシタール弾いてる、死んじゃう。君たちも死んじゃう。でも、シタールが生きてるでしょ。音楽が、歌が、人間のなかで生きてる。この世界のネイチャーの中で生きてる。「オレが、オレが!」「私が!」「いま、こういうもの!」こんなの、意味がない。なあ!

 

Q バッチューさんはステージの上で、なにを考えていますか?

 

AMIT ROY きれいな女性(笑)。たぶんね、私音楽やってるのは、これしかないと思う。好き、嫌いじゃない。正直な話。なんか、今までにないものを探している。たぶん女の子かな、と思ってる。女の子か、神様か、分からない。今はっきり見えるのは女の子だけ。神様はいるか、いないか、まだ分からない。でも、もし、こういう心なくなっちゃうと、私、シタールやめちゃう。新しいものを探す気がなくなっちゃうとね。音楽は、すごい心が苦しいときね、助けてくれる。

たろう それって、いつもずっと一緒にあるからですね。バッチューさんの生活のなかで、シタールがなかったことありました?

 

AMIT ROY あった。辛かった、あれは(笑)。あのね、恋がすごい生まれちゃうと、私走っちゃうでしょ、シタールあっちおいてね(笑)。だから問題なる。この女性(シタールを指しながら)、問題なにもないでしょ。じゃ、今、寝てください、ちゃんと寝る。ちょっと話してください、きれいな声で話する。いつもそうでしょ。女の子はちょっとケンカなったら、「どけ」ってなっちゃうでしょ。

 

Q シタールは女性なんですね。

 

AMIT ROY もちろん!

 

理子 いつも、「おれの美人」といってますよね。

 

AMIT ROY オレの美人!オレのココロの気持ちの天ぷら!

 

Q ???

 

AMIT ROY いつも助けてくれるからね。

 

________________________________________

ニキル・ベナルジー師のこと

________________________________________

 

杉本 先生の先生(ニキル・ベナルジー:シタールの巨匠)との生活について教えてください。

 

AMIT ROY ちょうど6年くらい、一緒に暮らした。毎日練習聴くでしょ。だから全部インプットされてる。今も、いつが何のターン、何のラーガ、全部。先生の練習聴いて、自分の練習して、わからないとき聞く。練習は先生も私もベーシックばかり。

 

たろう シタールのベーシックっていうのは?

 

AMIT ROY バーンスリとそんなにかわらない。ストロークだけ違う。あといっしょ。ガマック(演奏技法のひとつ)とかミーンドとか。

 

杉本 ニキル・ベナルジーとの生活はどんなでしたか。

 

AMIT ROY 朝、4時半に起きる。4時40分から7時まで歩くの。先生の手を引いて。先生あまり目が見えなかった。だからいつも手をもって。今も、そのフィーリングある。あと、夕方も、4時半から7時まで散歩。これが毎日。雨の日はできないけど。

 

Q どんな話をしながら?

 

AMIT ROY いろいろ話した。一番覚えてるのは、今、朝でしょ、この時のこういう色は、このラーガにぴったりとか、夕方の赤い光は、毎日出てこないけど、強い赤い光あるでしょ、これがシュリー。シュリーはパワフル・ビューティ。ラーガの音は全部意味がある。意味がわかって弾くとすごいきれいになる。わかってないと、かっこいいけど、心までこない。心が喜ばない。

サレガマ(ドレミファ)あるでしょ。レの音が太陽のこと。たろう、こんど、プーリヤ・カリヤーン(夕方のラーガ)やるでしょ。夕方の太陽は、すっごい弱い。だから、このラーガではレの音はっきり出てこないの。ひとつひとつ、ラーガのメロディーがある。

朝早く起きると、自然見える。自然の色とか匂いとかみえる。こういう音楽、ディスコのなかにはないでしょ。自然からくる。昔の人たち、自然見て感動して音楽つくったでしょ。だから、君たち、朝早く起きて、練習しなくていいから、散歩して。ラーガの気分がわかるよ。

日本来てオレな、家の近くにあった公園散歩した。朝早く、オレ、あいさつしていた。おじいちゃんおばあちゃんばっかり。日本の元気、どこいっちゃってる?(笑)カルカッタも大きな湖があって、やっぱりみんな朝早く起きて、いろいろしてる。お祈りしたり、洗濯したり。ひとりおじさんな、すっごい大きい声で歌う。神様に。でもすっごいベシュラ(音痴)で。先生と、またあのおじさん、歌ってるって(笑)

 

Q 今は家でどれくらい練習しているんですか。

 

AMIT ROY  私、練習の部屋に毎日2時まで絶対いるの。ぜったい外でない。練習しなくても練習の部屋のなかにいる。座っているだけは退屈だから、練習する。起きて、コーヒーもって練習の部屋はいる。お手洗いは2時のあと(笑)。

 

Q  練習の部屋からでないというのは、自分で決めているんですか。

 

AMIT ROY  あのな、人間な、ルール決めとかないと遊ぶ気持ちすごくあるでしょ。90%くらい遊ぶ気持ち。練習する気持ち10%くらい。だから、練習の時間は、それ以外なにもしない。オレの先生もそうだった。娘の結婚式、お母さんのお葬式ある日も、練習してた。散歩の後、12時まで。絶対練習。(全員ためいき)

 

杉本 先生はこれからどういうことしていきたいですか。

 

AMIT ROY いま、私のまわりにいる人がうまくなって欲しい。自分のなかでもっとうまくなりたいのは日本でもインドでも同じ。日本でなにするというと、君たち。うまくなってほしい。山登ったら、たのしいよー!山の上からみたら、すっごい楽しいでしょ!登る道もアドベンチャーがいろいろあるでしょ。一回な、オレのイメージのなかにある山に君達行ったら、もう戻らない。戻りたくない。もっと欲しくなる。だから、こういうふうにしないとな。この4カ月で、ぱーんとすごくみんなよくなったでしょ。それまでもずっと練習してた。でも、こういう大きな目標があると、取り組む力が全然違う。これは、お金でもかえないでしょ。

さあ、もう終わり!あとはカレー食べてからにしましょ!! 

 

(1997年11月某日 大阪箕面 中島家にて)